idesの研究の主たる目的は、自然知能(人間)が行っているものと相同な知能をコンピューター上のシステム
(プログラム)によって実現することです。
もちろんそれは「人工知能」の研究ということになるでしょう。ただし、私たちが考える「人工知能」とは、言葉を中心としたものです。
神経回路網の研究や、脳機能の研究に、意味が無いとは思いませんが、その方向には、知能の工学的実現は無いと考えています。
重要なのは「コミュニケーション」と、その土台となる「言葉」であるはずです。
だから私たちは、コミュニケーションを研究し、また、言葉を研究し、私たち人間(自然知能)が使っているように、
言葉を使ってコミュニケーションをすることのできるプログラム(システム)を構築しようとしています。
その過程で、いろいろな問題点が明らかになります。たとえば、自然会話システムを構築しようと考えると、
「名前や呼称をどう扱うのか」という問題に遭遇します。「〈私=高田明典〉という存在には、「高田明典」という名前が
割り振られていますが、名前や呼称は一つではありません。私のことを「高田くん」と呼ぶ人もいれば、
「高田先生」と呼ぶ人もいます。また「tkd」と呼ぶ人だっています。それらが同じ〈私〉という個人を指し示すように
システムを構築する過程で、「名前とは何であるか」について考えなくてはならなくなります。
また、ある人が言っていることと他の人が言っていることとの間にくい違いがある場合に、どちらを正しいものとして
採用するのがよいのかということも問題です。さらには、事実から論理を抽出したり、論理と事実を組み合わせることによって
推論を行う仕組みも複雑です。
人工知能や自然会話システムを実際に組んでみることに付随する効果は、そこにあります。机の上で、紙と鉛筆で考えるという作業は、
とても大事なことですが、そこにはどうしても限界があります。
そして、実際にシステムを組もうとすると、単に頭の中で考えることよりも多くの問題に遭遇します。
もちろんそれらの多くは「重要ではない」ものかも知れませんが、解決しなければならない問題を多く知ることができるのは、
私たち研究者にとって、とても多くの示唆をもたらしてくれます。
もちろん、現時点での人工知能システムや自然会話システムは、自然知能に比べればとても稚拙なものでしかありません。
しかし私たちは、いつの日か、自然知能に匹敵する(もしくは自然知能を凌駕する)システムを手にすることができるはずです。
私たち人間の思考能力には限界があります。現在、私たち人間は、必ずしも正しい選択を行うことできていないと
(少なくとも私は)考えています。私たちが「新しい知能」としての人工知能を求めるのは、
私たちが「より正しい選択を行うための支援」をそれに求めるからだと考えます。